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ジッチャンの名にかけて。
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1-4 「滅入りー・苦リスマス」

アンティグア ( グアテマラ)

「アンティグアに行くなら、学校に通うんだろう? 案内してあげるよ。」


グアテマラシティを出発したバスの中で、隣の男が言った。
物腰に粗雑さのない、グアテマラではあまり会わないタイプの紳士だった。
たいてい英語で話しかけてくる奴はうさん臭いのだが、
話し相手に飢えていた事もあり、つい耳を傾けてしまった。


ロビン戦法ナンバー2 「敵の誘いには絶対乗るな」 


だが、とりあえず到着までの1時間は相手してもいいだろう。
向かう先は、古都・アンティグア。
どうしてこの男はわしの目的を知っているのか。
ズバリその通り、わしは学校に通おうと思っていた・・・。







中南米は、驚くほど英語が通じない。



ワンツースリー、数も数えられない人がほとんどだ。
彼らがアホなのではなく、日常に使う場面が皆無なのだからしょーがない。
例えるなら、フランス語を話せる日本人を探すぐらい、英語の使い手を見つけるのは難しい。


スペイン語の習得は、戦場で武装するのと同じだ。
中南米を生き抜くためには必須の道具、死活を左右する大事な相棒なのだ。
まだ1年以上も旅は続く。
勉強するかどうかで、今後が楽しくなるかどうかも大きく違うだろう。



そんなニーズに応えてかどうか知らんが、
中米の入り口的な位置にあるグアテマラには、外国人にスペイン語を教える学校がいくつもある。


「留学」 というほど大袈裟なものでなく、旅行のついでに数週間カジる程度が人気。
物価も安く、しかも1対1のマンツーマンレッスンが受けられるとあって、
中南米を旅する者のほとんどが長期滞在していく。


町の雰囲気のよさや気候の過ごしやすさも手伝って、
特にアンティグアは選択肢も充実していた。


もともと歴史のある町で観光地としても有名なのだが、
「旅行者がアンティグアに行く = スペイン語を勉強しに行く」
と勝手に解釈されるぐらい、地元でのイメージは定着していた。
髪の毛がグシャグシャな女の子を見ると、フェラチオしたのかな?と思うぐらい、定着していた。





旅を始めて、ひと月が経とうとしていた。


他の旅行者との出会いに恵まれたおかげで、さすがに英語には少し慣れてきた。
だが、スペイン語の方は、まだ全然だった。



学校に通うつもりではいたが、どこにするか、情報も何もなかった。
自分でいろいろ話を聞いて比較検討するのが正しいやり方だが、
ちょっと急ぎたい理由もあって、今回は早く決めてしまいたい。


探すのも面倒だし、この人に任せちゃおうかな。
コイツがマージン狙いの客引き、ってことも考えられるが、もしそうなら断ればいい。
上は黒の革ジャンだがその下はスーツだ。
グアテマラでこういう服装は、ある程度の身分の人にしかできない。



彼はやはりただの親切な人で、バスが到着すると、すぐに学校へ案内してくれた。
町の中心からも、バスターミナルからも、市場からも遠くない。
あとから考えると、渋谷のポールスミスみたいな絶妙な位置に、それはあった。


日本人の生徒もいたので訊いてみると、ここはなかなかよいとの事。
宿でも何でも、まず先に 「ここがダメ」 と欠点が出てくるラテンアメリカの施設で、
「よい」 というコメントが聞けただけで充分な収穫。
もうここでいいか、と思っていると、


「はじめまして。 校長のホセです。」


なんと、さっきからバスに乗って一緒に来た紳士が、ここの校長先生だった。
今まで黙っていたのは何のためかわからないが、その微妙なユーモアが気に入った。
わしは宿も決める前から、その場でこの学校に入ることを決めた。



「通ってる間は、ウチに泊まればいいから。」


すぐ裏手の家を指して、校長ホセが言った。


グアテマラのスペイン語学校は、大概ホームステイの斡旋をしている。
地元民の一般家庭に住み込めば会話の練習もできるし、
毎日3食、郷土料理にありつけるのだ。


安く上げようと思えば自炊ができる宿、という選択肢もあるが、
ケチケチ旅行の最先端を行くわしでも、どっちかというと家庭の方が魅力的に映った。


そういえば今日は12月23日。
もうクリスマスじゃないか。


本場カトリック国のクリスマスは、家族で厳かに祝うと聞いた事がある。
カップルでイチャつく日では、決してない。


ホームステイすれば、きっとその仲間にも入れてもらえるだろう。貴重な体験だ。
あまり比較せずサッサと決めてしまいたかったのは、そういうイヤラシイ計算もあってのことだった。



さて、当日。


意外なことにクリスマス・イブにも授業はあり、初めてのレッスンが終わると、
夕方、校長ホセの家に帰る。


この家にはたくさん部屋があって他の外国人もステイしている。
食事はみんなで中庭のテーブルへ。わしの部屋の目の前がそれだった。



国や宗派にもよると思うが、本場のクリスマスは25日の午前0時から始まる。
お馴染みの七面鳥やケーキが出てくるのはそこからで、
クリスマス・イブの夕食はナシとのこと。


一応、お祝い用のリンゴとブドウが少し振舞われるが、
サイヤ人みたいにたくさん食うわしが、満たされるはずがない。


「まいったな。」 と思った。


ホームステイ・3食付きとは言っても、いつでも食い放題、飲み放題とは違う。
足りない分は当然、各自で補給が原則なのだが、
予算的に余裕がなくて野宿までしていたわしには、
「パンとかジュースをストックしておく」 という発想が、これっぽっちもなかったのだ。


家族がプレゼント交換をして抱き合ったり、ホセがギターで歌ったりしている。
この家は裕福そうなのでコレがグアテマラのスタンダードかどうかはわからないが、
想像の範囲は超えていないパーティー。 この辺は日本も同じか。


それをヨコ目で見送りながらも、わしは食い物のことばかり考えていた。
もっとキツいのは喉の渇きだ。
水道水をガブ飲みするワケにもいかず、みんなの笑顔の中、孤独に忍耐を強いられていた。



一息つくと、ホセの奥様が、焼く前の七面鳥を見せてくれた。
腹に詰め物がしてあって、丸々太ったターキーが、さらにパンパンだ。
このまま生でかぶりついてもイケそうだが、ヨダレをたらしたわしの目に危険を感じ取ったか、
奥様はすぐに七面鳥を引っ込めて、オーブンへと投入した。
焼き上がりはなんと5時間後。丸焼きとはそういうもんらしい。


これは宗教行事の持つ、修行の意味合いでもあるのだろうか。
無情にも兵糧攻めみたいな仕打ちを受けて、パーティーは一旦、解散となる。
午前0時までは、部屋で勝手に過ごしてくれだとさ。


トホホという言葉を口に出して言ったのは、おそらく生まれて初めてだった。




空腹で勉強する気も起こらないので、枕を腹に押し当てて、寝っ転がってしのぐ。
減量中のボクサーみたいだ。クリスマスって楽しいイベントじゃなかったっけ?


眠る事もできないまま、時計はナメクジが這うようにゆっくりと進む。


21時・・・


22時・・・


23時・・・。


あと1時間ッ!!
1点リードしてロスタイムに入ったぐらいの気分。
時よ早く過ぎろ・・・それだけが脳内の約半分を占め、残り半分は「ハラへった」だ。


待ちきれなくて、フライングで中庭のテーブルにつく。
アメリカから来たリカルド夫妻も同じ考えだったらしい。
こっちゃハラへってんだよ。と、密かに奥様にアピールするのだ。


玄関のドアが開いて、ホセが帰ってきた。どこかに出かけていたらしい。
明らかに表情が暗い。さっき集まった時の陽気さがカケラもない。


奥様にボソボソと何事か言ったあと、ホセはいきなり泣き崩れた。
胸を貸している奥様も、なぜか同じテンションで泣いている。


何が起こったのかさっぱりわからずにいると、
リカルド嫁が、大袈裟に首をヨコに振りながら通訳してくれた。


「ホセ、弟さんが亡くなったそうよ。」


「はあ??」


聞くところによれば、ホセの弟さんは病気で、生死の境をさまようような状態だったらしい。
わしとバスの中で出会ったのも、弟さんの見舞いの帰りだったのだ。


そういえばホセは、やたらカネを欲しがっていた。
紳士だからガツガツした感じではなかったが、やんわりと授業料の前払いを頼まれた生徒もいた。


見た目かなり裕福なのに変だと思ったのだが、そういうことだったのか。
よりによってクリスマスの夜に・・・


とてもその場には居られない空気になってしまったので、わしらはとりあえず部屋に戻った。
もうすぐ0時になる。
裕福だからか、ホセが長男なのかは知らないが、親戚と思われる面々が次々と訪ねてくる。


もちろんクリスマスを祝いに来ているのだ。
片手に酒のビン、片手に花束。玄関が開くと同時に
「フェリス・ナビダッ!! (メリー・クリスマスの意)」
とハジけそうな明るい声が響く。


それを出迎えるのは、まぶたを腫らして悲嘆にくれる夫婦だ。


誰もが様子がおかしいことにすぐ気づき、事情を聞き、声を上げて泣く。


「うおおおおおおおおお!!!!」


「なぜだああああああああああああ!!!!」



ラテン民族に感情のリミッターはない。
遠慮会釈のない阿鼻叫喚が、壁越しにわしの部屋まで届いてくる。


一人、二人と新たな客人は訪れ、また同じ起承転結が繰り返される。
絶叫に次ぐ絶叫。咆哮。慟哭。悲しみの無限ループ。


あまりにいたたまれないので外出しようにも、中庭を通らなければ外には出られない。
集団で泣き崩れる大人の波を掻き分けて遊びに行けるほど、わしの心臓は強くはなかった。


0時を告げる鐘が鳴る。
同時に、ダムが決壊したかのような勢いで、町じゅうに爆竹の雨が降り注ぐ。
ロケット花火が横向きに飛び交う音、車のクラクション、大音響のサルサのリズム。
なるほどラテンだと納得のけたたましさ。
その愚かしいほどのお祭り騒ぎの中、ほの暗い中庭ですすり泣く家族。強烈なコントラスト。


結局、初めて海外で迎える聖夜は、独房から一歩も出ることなく終了した。
代わりといってはあまりに酷な、初めての 「喪」 体験だ。
初めての七面鳥もオーブンから出ることはなかった。
ジャスト焼き上がりの芳醇な香りだけが、飢え死に寸前のわしをいたぶるように鼻腔を刺した。


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