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ジッチャンの名にかけて。
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1-8 「見上げればテム・レイ」

ブルーホール ( ベリーズ)

空が見えた。


いや、言葉で表しているほど正確に
「空が見える」
と理解したかどうかは怪しい。


目から空の映像が脳に送られた、それだけ。
とにかく、最初は空が映った。




しばらくは
「空が見える」
それだけだった。


五感というものがあるはずなのに、視覚以外は働いていないようだ。
そういえば音もしない、匂いもしない。
ただ、空が見えていた。


だから何なのか、よくわからないまま、時間が過ぎた。




「あー」









「あー」
「あー」




??




聞こえた。


次に、音が聞こえた。
いや、正確には
「音が聞こえた」
という理解があったかどうかは怪しい。


耳から入った音が、ともかく伝わった。
空と音。
これで情報は2つになった。




「あー」


よく聞くと、この音は自分が出しているらしい。
そうか、「声」 というやつだ。 段々わかってきたぞ。


自分は今、空を見て、 「あー」 と言いながら、それを聞いている。
そこまではオッケーだ。


でも、自分って前からこんなんだっけ?
昔はもっと色々できた気がするのに、今は 「あー」 って言うだけだ。


コレって、かわいそうなんじゃないだろうか?
できたことができなくなって、自分はかわいそうな人になったんじゃないだろうか?


どこか空中に、スタンドのようにもう1人の自分がいて、今の状況を冷めた目で見つめている。



「酸素欠乏症ってこんな感じかな。テム・レイと同じだ。はは・・・参ったな。」



もう1人の自分を更にツッコむ自分が居て、笑う。
命が危なかったというのにこんな事が頭に浮かぶなんて、
本当にアタマがおかしくなったのかもね。



ん? 命が危なかった?



あれ、どうしてこんなことになってるんだっけ・・・。






グレートバリアリーフに次ぐ、世界で2番目に大きいサンゴ礁、ベリーズ・バリアリーフ。
その中にポッカリとあいた直径300m、深さ125mのたて穴を、ブルーホールと呼ぶ。



わしはそのブルーホールに来ていた。
ダイビングのライセンスを取りたてだったわしは、
初めて彼女ができた大学生のようにガツガツしていて、とにかく潜りたかった。


わしが取ったライセンスはオープンウォーター。
車のオートマ限定みたいなもので、18mまでしか潜れない。


だが、そんなことは漢気(OTOKOGI)で何とかなると、みんなにはナイショにしていた。
他の人が40mまで行くのに、足を引っ張るワケにはいかない。
最悪の場合、 「お前は来るな」 とか言われそうだからだ。


何気に初体験の40m、潜行開始。


通常のダイビングは海底の地形に沿って徐々に深度を下げていくことが多いが、
ここは垂直な縦穴。
一気に下まで行って、一気に帰ってくる。


景色としてはあまり面白くもなく、周りにはサンゴも、群がる小魚も居ない。
洞穴の壁が鍾乳石のように尖っていたり、
丸く穴の空いた壁面に光が差し込んだりしているが、あとはどこまでも深い蒼(あお)。
水の透明度はかなりのもの。そのはずなのに、何も見えない。


自分の吐く空気の 「ゴポッ」 という音だけが響く。宇宙(そら)に漂うザクのようだ。
蒼い闇に吸い込まれるように、他のメンバーはより深くに沈んでいく。
わしもあとに続く。水深計を見たら既に20m。
いつの間にか一線を越えてしまっていたらしいが、特に異常はない。
このまま突っ込んでも問題はないだろう。




みんなの動きが止まって、浮上のサインが出る。
限界の40mに達したらしい。


あれ? もう終わり?


ブルーホール自体は125mもあるから、途中もいいところ。
だが、先に行っても何があるってワケじゃない。この蒼さにも満腹といえば満腹だった。




有数のダイブスポットと言う割には、どうなのかね。
サンゴやサカナが見たければ、他にいくらでもいいところがある。
微妙にだまされた気分になりながら、ゆっくり来た道を折り返す。
あ、だから「ブルー」ホールなのかな・・・。



つまらん事を考えていると、突然、何かがノドに引っかかったような気がした。
ゴホッと一度、咳込んでみる。


水中で咳なんかできるのか、と思うかもしれないが、これが意外と普通にできる。
咳をしたらそのあとは落ち着いて、レギュレータから空気を吸い込むだけでいい。


その気になればタンだって吐けるのだ。普段なら、何てことない。
だが、その時は違った。
吸い込んでみると、空気ではなく、水が入ってきたのだ。



全く予定外のモノが口に入ってくる恐ろしさ。
昔、牛乳を飲もうとしたら、スライムみたいな物体がノドを直撃したことがあった。
それ以来の衝撃ッ!!


水が入ってしまうトラブルはままあることらしいので、
マニュアルで習ったとおりの対処法を講じる。
まさか実戦で使うことになるとは・・・でも、緊急時こそ基本が大事だ。


パージボタンというやつを押して、詰まった水を空気で追い出す。
そして再び装着ッ!!


・・・また水が入ってきた。




これはレギュレータの故障だろうか。
そう思い、素早く予備を口に咥える。
今度は水は入ってこないが、空気も入らない。
隣を泳いでいたバディ(相棒)のブラジル人に助けを求める。
彼の予備をもらうが、やはりダメだ。




最初は機械の故障っぽかったけど、今はそうじゃない。
どう考えても、自分の体がおかしい。
水を手加減ナシで2度もイッキしたのだ。それで気管に詰まりでもしたのか。
もはや空気も、水すらも吸い込めなくなっている。




「ヤバい・・・!!」


やれることは全てやった、そして、全てダメだった。
その時、改めて事態の深刻さに気が付いた。


力を込めて上に泳ぎ、インストラクターに追いつく。
助けを求めてもどうにもならないのはわかっているが、
先頭に来ることで、少しでも早く水面に出ようとした。


「空気が出ない」


これもマニュアルどおりのハンドサインで、伝える。
経験豊富なインストラクターでも、こういうサインは滅多に見ないのだろう。
もともとギョロついている黒人の兄ちゃんの目が、ゴーグルの中でさらに見開かれる。
水中でもいいリアクションしやがるぜ。


兄ちゃんはわしの右腕をガシッと掴む。わしも同じように、その腕を掴んだ。
これもマニュアルで読んだやつだ。
万一わしが気絶した場合でも、体だけは引き上げるための対策。




黒人兄ちゃんは、親指と人差し指でマルをつくり、
「オッケーか?」
のサインを出した。


空気が出ないのに、オッケーなわけがない。
だが、つい反射的に同じサインを返してしまう。
日本人は、水中でもノーと言えないのだ。




ピンチだからといって、全速力で、一気に浮上することはできない。
肺の中の空気が膨張しないように、時間をかけて慣らしながらでないとダメなのだ。


水深計に目をやると、まだ20mもある。
マニュアルによれば、あと3分はかかるだろう。
水泳には自信があったが、3分も息を止めた経験はない。
とか何とかいう時点で、空気を吸わなくなってから、もう1分は経っている。


絶望的な状況だということは、簡単に理解できた。


インストラクターの腕の先を見ると、つまりその方向が上、水面だ。
だが、その色は依然、深い蒼をたたえたまま。
それが生還までの遠さを、雄弁に物語っている。




「死んだ・・・」




認めたくないものだな。
だが、全ての状況が、その結末への道を示していた。
時間が経つほどに、頭の中はますます冷めていく。


面白いことに、心のないわしは、この差し迫った場面でも至って落ち着いていた。
遠くからこの状況を感情抜きで分析している、もう1人の自分がいた。



こんな聞いた事もない国で死んだら、家族は何て思うだろう?
イヤ、そもそも死んだことを親に伝えてもらえるのか?
ベリーズには日本大使館がないよな。
ああ、でもそういえば昨夜、日本人の夫婦とメシ食ったっけ。ヒロさんとリエさん。
俺が帰らなければあの人たちが不審がってくれるかもな。じゃあ大丈夫かな。
残ったカネは差し上げますから、何とかしてほしいな・・・あ。



考え事が多かったおかげで、苦しみは紛れていた。
気が付くと、周りの様子が変わっていた。


あの深い蒼が、心なしか白っぽく、黄色っぽく変色している。
体の周りに、無数の細かい泡が見えた。


これは、と腕の先を仰ぎ見ると、
放射状の光の帯が降り注いで、小刻みに揺れる銀色の幕が、キラキラと輝いている。


水族館のでっかい水槽を下から見上げた時の、あの感じ。 間違いない。



水面ッ!!



それが理解できたと同時に、泡の粒と閃光が全身を飲み込んだ。
視界が開ける。今までとは別の青。 空の青!!! 空!!!! 空気ッ!!!!!!!!!










「助かっ・・・」










そこから先の記憶がない。



「あー」


気が付くと、何やら体が揺れているのを感じる。


正確には、自分の右腕を、誰かが揺すっている。
あれ? その後ろにも何人か人がいるぞ。何か言ってるな。


自分の 「あー」 がジャマでわかんないけど、なんだろ。
んー、揺すられると気持ち悪くて・・・あー。


げっ。吐きそうだ。
起きなきゃ。起き・・・。




ゲロゲロゲロゲロゲロゲロゲロゲロゲロゲロゲロゲロゲロゲロゲロゲロゲロロロロロロr・・・・!!!




反射的に体を起こして、海に向かって吐いた。
出て来るものは大量の何かだったが、あまりにも透き通っていた。
あしたのジョーがアニメで吐いていたブツよりキレイだった。 たぶん海水そのままなのだろう。


2度、ゲロのアクションをして、腹筋が引きつるまで吐いた。
よくこんなに入っていたと思うぐらい出て来る。ペットボトル2本はカタい。


限界まで出したら、一気にアタマもスッキリしてきた。
海水と引き換えに自分や記憶が戻ってきて、ようやく1人の人間が完成された感覚があった。



「友情、インプット完了!!」



全て思い出した。
わしは、ダイビングで事故にあって、死にかけたのだ。
やっぱり人にはバレなくても、神様は見ていたのかもしれない。
無免許運転のツケは、最凶最悪のトラウマというカタチで払わされたのだ。


あの後は、船上で手当てを受けていたらしい。
腕を揺すっていたのは、一緒に潜ったブラジル人だった。
周りはインストラクターに他のメンバーも勢揃いして、なんか知らんが喝采が起こっている。


どのくらいの時間、ここでこうしてくれていたのだろう。
感謝よりも、申し訳ない気持ちでいっぱいになる。


とくにインストラクターとバディ君には、まさに命を救ってもらったのだ。
人工呼吸で唇を奪われているハズだが、命に比べれば安いものだった。




みんなとかわるがわるハグして、九死に一生のドラマを感動的に分かち合う。
海に潜って空気が出なくなる。
改めて考えると、なんて恐ろしい目に遭ったのだろう。


冷静でいたつもりでも、本能が 「生」 に向かって足掻き続けたのだ。
そして、まわりの人の適切な対処があってこそ飛来した僥倖(ぎょうこう)。
「死」 の間近まで接近して、わしは生まれて初めて、「生きていること」 に感謝した。
生んで、育ててくれた親の顔が、ここに来てようやく思い浮かんだ。



さて、
命が助かったのはいいが、
さっきまでのわしは、なんかおかしかった。



死にかけている状況で初めに思い浮かべた顔は、
親でも恋人でもなくて、なぜかテム・レイ。 しかもラリった方だ。



女子供のために説明しておくと、
テム・レイとは 「機動戦士ガンダム」 の主人公、アムロ・レイの父親である。
優れた科学者であった彼は事故で宇宙空間に放り出され、
「酸素欠乏症」 にかかって精神に支障をきたす。


なんでそんな人物、しかも特別好きだったワケでもないワキ役が出て来る?
やっぱり脳に障害が残ったんじゃないか?


心配になったわしは、自分の電話番号や生年月日、今まで食ったパンの枚数まで、
知り得る限りの個人情報を記憶から引きずり出してチェックした。


ヤシの木陰で、掛け算九九を1の段から復唱した。
もう1人の自分がまた出てきて、やっぱりコイツはおかしいと笑っていた。


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