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ジッチャンの名にかけて。
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2-3 「風が吹けばドロボウがもうかる」

インカ道( ペルー)

ここに1枚の写真がある。



この中に間違いが1箇所あるのだが、さて何でしょう? (制限時間15秒)









・・・では答えはCMのあとで、ということで、別の話。



なんかのアンケートによると、
「行ってみたい世界遺産」 堂々の第1位は、ペルー、マチュピチュらしい。




謎の空中都市・マチュピチュ。
JTBとかのクソ高いツアーのパンフの表紙にも使われる、ペルーの、いや南米のハイライトだ。


中でもこの構図はヒジョーに有名で、「これぞ」 といったイメージだろう。


空中都市と呼ばれるだけあって、マチュピチュは上から見下ろした姿が、最も美しい。
この写真も、遺跡のほぼ最高地点から撮ったものだ。




一般的には、マチュピチュへはクスコという町から列車に乗って行く。
列車は山の麓の村に着き、そこからさらにバスに乗ってジグザグの山道を上り、
入場料を払ってゲートをくぐり、自力で遺跡の中を歩いて最高地点まで登って、
初めてこの景色が見えてくるのである。


マチュピチュの存在が20世紀まで知られていなかった理由は、
ズバリ 「下からは見えないから」 なのだ。




さて、ここで。






@  そうやって遺跡の中を通ってからここに登ってきて眺めるまちゅぴちゅ。

と、

A 初めて目にするマチュピチュがいきなりこの全景でドン!!


では、どっちが感動できるかという話ですよ。



人によると思うが、わしは断然 A だと思う。


何事も第一印象というのはものすごく大事で、相手が長く付き合う人間とか道具でもなければ、
かなりの確率で、第一印象がそのまま全ての感想になる。
AVだってまず女優がカワイくないと、中身に興味はわかないのだ。




「一般的には」 マチュピチュへは前述のように行くのだが、実は別ルートがある。
「インカ道」 を使うのだ。


インカ道というのは、マチュピチュやクスコなど、インカ帝国の都市をつなぐ、
「飛脚が走り抜けるための幹線道路」 である。
幹線道路といっても山道だが、アンデス山脈の間をぬって血管のように張り巡らされており、
北は現在のコロンビアから南はチリまで、総延長は何千キロにも渡るという。


列車を途中で降りて、このインカ道からとなりの山を回り込んで行けば、
マチュピチュをいきなり上から見ることができるのだ。


しかも、時間さえ調節すれば、そこから日の出を拝むことができるらしい。
遺跡の下にある通常のゲートは日が出てしまってから開く。
インカ道は徒歩3泊4日というのが難だが、苦労したなりの特権が、この上なく魅力的だ。























クスコで出会った旅行者とペアを組んで、
わしは早速インカ道へ乗り込んだ。


4000m級の山が美しいだけでなく、
途中いくつものミニ遺跡を通過するので、
それもおトク感があって楽しい。


3泊4日かかるとクスコの人間は言っていたが、二人とも体育会系なせいか、
黙々と歩いているうちに、2日目の昼過ぎには最後のキャンプ地に着いてしまった。


突っ込めばマチュピチュまで行けてしまうが、あえてストップ。
ここで1泊テントを張って、翌朝4時に出発すれば、
ちょうど到着する頃、日の出が見られるという計算なのだ。





さて、





先ほどの写真の話に戻ります。わかりましたか?




「アディダスがアジデスになっている」 とかではないですよ。




正解は・・・







そう、 「こいつクツ履いてねえ」 です。




別に疲れて脱いでいる訳ではなく、ホントにないのですよ。


信じがたいことに、その最後のキャンプ地で、クツを盗まれたのだ。




「そこにあるはずの物が無い」 というのは、こんなに茫然とするものなのか、
朝起きると、テントの外に脱いでおいたブーツが、煙のように消えてなくなっていた。


まだ空が白んでもいない午前4時。
いくら手探りしても、ライトで照らしても、少なくとも半径3メートル以内に、
一番無くなっちゃいけないものの姿はなかった。


ペルーでは他の旅行者から様々な盗難被害を聞かされていたが、ついにわしの番が来た。
しかもよりによってクツを、あと半日は歩かなければならない山道の途中で、だ。
悲惨さで言えば、 「缶詰をいっぱい持ってきたが、缶切りがない」 と同率で、
世界ランキング4位に入るだろう(当社調べ)。


履いていたのはゴリラというイマイチな銘柄のワークブーツだった。
高校の時レッドウイングが買えなくて仕方なく買って、かれこれ7年も履いているボロいやつだった。


愛着がそれほど無いからこそ、長旅のお供に履いてきたのだが、
日本人なら確実に 「タダでも要らない」 と言われるような、きったないブーツだったのだ。
まさかあんなボロいやつを盗むやつが居るとは・・・。


その最終キャンプ地には外国人のトレッカーだけでなく、
彼らが雇った地元民のポーター(荷物運び屋)もキャンプをしていた。


おそらくポーターの誰かがやったのだろうが・・・ヤツらにはお宝だったのか・・・うーむ。
ブーツはあげるから、マチュピチュに着くまでは返してくれないだろうかね?


その場にはポリスの詰め所もあったが、チンタラ届けを出しているヒマなどない。
モタモタしていたら日が昇っちまう。


キャンプ地は狭いし、地元民を一人一人シメ上げれば犯人は見つかるかもしれないが、
そんなことで時間をツブすわけにはいかなかった。
トレッキングの相棒くんは、 「マチュピチュを見るために南米に来た」 という男なのだ。
彼にも迷惑がかかってはいけないので、わしは靴下のまま歩き始めた。




古(いにしえ)の趣あふるる街道が、昨日まであんなにやさしかったインカ道が、
タレントが売れなくなった時のプロデューサーのように、態度を一変する。
岩や小石、そして予想外の敵・リャマのウンコが、牙をむいて柔肌に襲い掛かってくる。


当時の飛脚だってワラジくらいは履いていただろう。
マチュピチュまでは2時間との話だが、そりゃ靴履いてればの話。
目標を目の前にしてこんなにイヤそうに歩いてるのは、わしか24時間テレビのランナーくらいだ。
どこからともなく、 ZARDの 「負けないで」 が聞こえてくる。



「左手は そえるだけ・・・」



自分でも意味がわからないことをブツブツ言いながら、
痛みに耐え、なんとか足だけは前に出し続けた。




3時間後。
かくしてわしは、おそらく裸足でマチュピチュに入った唯一の日本人になった。


到着と同時に上ってきた朝日と、浮かび上がる空中都市の姿に、
通常のザクの3倍の感動が広がる。思ったとおり、苦労した分見え方が全然違う。





到着すればラクだろうと思っていたが、甘かった。
遺跡の中身も石畳みたいな旅人に優しいエリアはごくわずかで、
通路でないところはガレ場もしくは丈の短い草地。
この草が地獄の針山の如くチクチクと突き刺さって、また別の意味で痛いのだ。


せっかく小石の痛みに慣れてきたところで、今度は新たな角度から刺激が襲う。
足裏のありとあらゆるツボを突き尽くしたので、冷え性や胃もたれも解消されたに違いない。




更に追い討ちをかけたのは、わしのこんな姿を見て、スレ違う人がいちいち驚いていくことだ。
日本人とおぼしき集団は遠くでヒソヒソ言ってるからまだいいが、
白人の連中は大抵ジーザス!!とか言って指差してきやがるので、鬱陶しいことこの上ない。


趣味でやっている、もしくはこれが日本の習慣だと誤解を受けても困るので、
気づいた奴には事情をイチから説明してまわった。
「キャンプ場でブーツを盗まれました」 というフレーズは、今やわしの最も得意な英語だ。


後日クスコで会った旅行者の中には、 「ああ、キミが例の・・・」 と言ってくる人もいた。
あまりにみんなに同じ事言って歩いたため、
「裸足の日本人」 のウワサは、ごく狭い地域で広まっていたらしい。




でも、これだけ遺跡じゅうにわしの 「かわいそう度」 をアピールしても、
女子テニス部の後輩がビーサンとか持ってきて 
「これ・・・よかったら、使ってくださいっ!!」
ペコリ!! ダダダッ!!(顔を赤らめて走り去る音)
というようなドリームは、とうとうカムトゥルーしなかった。




みんなかわいそがるんだけどねえ。
笑ってくれるんだけどねえ。






助けてはくれないのね。






世間ってキビシイのね。




ということで、
足の痛みと他人の視線が気になって、
マチュピチュの中身のことは覚えてるような覚えてないような・・・


もともとナスカの地上絵やモアイに比べると、
自分の中ではマチュピチュへの関心度はかなり低かった。
しかし、この事件のおかげで、ある意味忘れられない爪痕が残ったのだ。
犯人に、ちょっと感謝の気持ちさえ生まれつつあった。




その晩、痛い痛い自分の足のウラを見てみたら、ケガやマメの類は一切なく、
それどころか、靴下にも穴ひとつ空いていなかった。


3足100円で買ったペルー製の靴下。やるな。
大学時代、裸足で外をランニングするような部活に所属していたのだが、
それがよかったのかもしれない。



「風が吹けば、桶屋が儲かる」 という。
「ブラジルで蝶が羽ばたくと、テキサスにトルネードが起こる」 ともいう。
「足し算ができない → 落第 → 人生の落伍者 → 寂しい人生 → 自殺 」
と、ルナ先生も言っている。



人生、何がどこで影響するかわかったものではない。
実家の釣り船屋を手伝っていたらハードパンチャーになっていたり、
連射を鍛えていたら2本指でスイカを割れるようになったりするのだ。
きっとこうやって無職で海外をプラついた経験も、将来を切り拓くことに・・・繋がらないか。


この事件以来、旅先では靴を履いたまま眠る習慣がついたのだが、
これが原因で億万長者になったり、身長が伸びたり、彼女ができたりしないかな。
目下そのルートを検索中である。


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