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ジッチャンの名にかけて。
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B-5 「北朝鮮十番勝負」

平壌 ( 北朝鮮)

一番目 : vs家族



「拉致とかされちゃうんじゃないの?」

あの国へ行く、という話をすると、100人中100人が、決まってそう言う。

「え、行けるんですか?」
「洗脳されたりしないんですか?」
うち90人くらいは、同時にそんなことを訊いてくる。

拉致、飢餓、強制収容所、テポドン・・・あと喜び組。
これが今の日本人の、一般的な北朝鮮に対するイメージだろう。

息子のやることに全く干渉しないウチの母親でさえ、 「北朝鮮だけはやめれ」 と言った。
ハリケーンで壊滅したホンジュラスや、内戦中のコートジボアールから絵ハガキを送っても、
まーったく何も言わなかった母が、だ。

危険度で言えば、上の2つだってヒケをとるものではない。 いやむしろ全然ヤバイ。
でも、国名聞いても「ピンと来ない」 から、危険かどうかもピンと来ない。
知らないというのは、時に便利だ。

逆に有名だというのは、恐ろしいことだ。
いじめられっ子も 「バックに北朝鮮が付いてる」 とか言えば、いじめられなくなるかもしれない。
それぐらい、ヤバさの代表のような印象が根付いている。

だから、「北朝鮮に行っちきます」 などといえば、そんなリアクションが返ってくるのは当然だ。
幸いわしの知り合いには居なかったが、
怒り狂ったり、二度と口をきいてくれなくなる人も、いたっておかしくない。


天涯孤独の身でもない限り、北朝鮮行きの最初の課題は 「身内の説得」 である。
なにしろ外務省までもが行くなと言っている国だ。
普通の人にその安全性を理解させるのは、生半可な難しさではない。


でも、ホントに大丈夫なんすよ。
ツアーも出てるんです。
何かおこるワケがないんですって。



麻薬とニセ札ぐらいでしか外貨を稼ぐ方法を知らない北朝鮮は、
実は外国人観光客の誘致に、けっこう力を入れている。
わが国はこんなにスゲエんですよ、とアピールしつつ、
ついでにおカネ置いてってチョ、というのが狙いだ。


まあ国情があんなだし我われ外国人のイメージは知っての通りだから、
そんなに大成功、ってわけでもなさそうだが、
観光業は、国にとって重〜要な収入源のひとつなのである。

そんな大事な大事な観光事業で、
拉致などという、世界中の批判の的になるようなマネをするはずがないっ!!


しかもこの時期(8・9月)は世界に誇るマスゲーム、「アリラン祭」 が開催中。
1年の書き入れどきであるとともに、
この「アリラン祭」 自体が、偉大なる故・金日成主席の功績を称えるイベントなのだ。

そんな3度のメシより重要な国家的事業中に、問題が起きて中止!! 米軍が空爆を開始っ!!
などとなったら、一番痛えのは、他ならぬ北朝鮮自身だからだ。
コンビニでチロルチョコ1個パクって、会社をクビになるようなもの。
いま観光客を拉致して、メリットなんか1コもないのである。



だから、わしは確信をもって断言する。
拉致など、起こらぬ。

現地で全裸になったり、道行く人にツバかけまくったりすれば捕まるだろうが、
そりゃあどこの国でも同じだろう。

おカネも韓国に10回行けちゃうぐらいかかるけど、女房を質に入れてでも、見に行かなアカン。
「もうすぐなくなっちゃうかも知れない国」 なんて、世界中探したって、そうはないぜ。




・・・・・・・・・・・・・・・・・

と、いくら力説したところで、
マスコミに作られたイメージから抜け出すのは、なかなか難しい。
かの国の民は洗脳されているというが、われわれのコレだって、一種の洗脳だ。

親の世代、しかも旅行しない人には、なおさら理解は得られまい。
仮に説得に成功したところで、そりゃあ親だもの。
行っている間、余分な心配をさせてしまうのは間違いないだろう。


仕方がないので、今回は親には黙っていくことにした。
ママには内緒でお泊りだ。高校生みたいでドキドキする。

母さん、ボクは悪い子に育ってしまいました。
どうかお許し下さい。いい歳こいて北朝鮮に遊びに行く息子を。
ちなみにウチのヨメは、0.05秒でOKした。
家族愛ってなんだろうと、真剣に考えた。



二番目 : vsガイド



金日成のにこやかな笑顔が出迎える空港に着くと、ろくに検査もせず入国完了。

乗り継ぎの北京ではインフルエンザの検査に1時間もかかったのに、そんなのノーチェック。
割と世界的に大騒ぎしているトピックに興味がないのか、あるいは知らないのか・・・
この国の取り残されっぷりも、相当なものだと感心する。

だが上陸後の第一印象は 「そこまでヒドくねえな」 だ。
空港は小さくてもアフリカのリベリアよりは全然マシだし、
上空から水田だって見えた。とりあえず、飢餓状態でもなさそうだし。

比べる相手が悪すぎるが、少し安心というか、微妙にガッカリ感もある。
まあ、この国のことだ。違う面でわしの期待に応えてくれるに違いない。



さて、荷物検査を済ますと、出口では早速、ガイドが待ち構えている。
詳しくはこちらに書いてあるが、北朝鮮はガイドなしで旅行することができない。
このキムさんとシンさんが、6日間わしの世話係、というか、メインの仕事は監視役だ。

   

「それではコミネさん、パスポートを出してください。」

北朝鮮を旅行する外国人は、滞在中、ガイドにパスポートを預けなければならない。
国交のないこの国で、身分を証明するものが手元になくなるのだ。
わしはパナマにいたときパスポート不携帯で逮捕されているので、トラウマが甦る。
事前に聞いていた事なので素直に渡すが、この国のやることはいちいち薄気味が悪い。

「日本とは国交がないので、大使館もありません。失くしたら大変ですからね。」
とか言ってるが、失くすリスクはお前が持ってても一緒だろっ!!

絶対何かやっている。
預けてある間に、ニセモノが製造されるに決まってる。

わしのニセモノが現れたら、本物のわしを「消し」に来るだろうか?
そういえばビザの申請用紙には、自宅や勤務先の住所を書く欄があったっけ。ヤバイな。


さて、人質をとられてしまったわしは、いよいよガイドの言うことを聞くしかなくなった。
自由な行動が一切ないのはツラいが、
日本語の通訳が2人もいて、専用の車でドアtoドアの送迎付き。
歩く必要さえほとんどない。今までしてきた旅の真逆を行く、破格の待遇だ。

また経験から、「現地人と一緒」 という安心感は相当なものだと知っている。
望んだワケではないが、24時間護衛されているのと同じ。
考えようによってはこれほどのVIP旅行もないだろう。


気持ちを切り替えて、このスタイルに馴染む努力をしよう。
ガイド曰く、自称 「世界一安全なツアー」 だ。

そんな風に名乗るところがかえって胡散臭さを増す。
旅の安心感より、違う意味での不安の方がずっとデカいのが難点だ。



三番目: vs国際親善展覧館


妙香山、という山を見に行く。

ま、山なんか日本にもある。
さらに北朝鮮の山は日本のそれとほとんど違いがなく、なおさら見るまでもない感じだ。

が、山に行くということはイナカを見られるということ。
平壌はいかにもな作り物臭がプンプンしていて、通行人までエキストラに見えた。
イナカなら少なくとも本物が居るだろう。むしろ道中の方が興味深い。

出発して30分もしないうちに、辺りは東北地方のような田園風景に変わった。
未舗装の赤茶色のあぜ道では牛が荷車を引き、子供が慣れた手つきでそれを操る。

橋が架かっていないため、チャリンコを押して裸足で川を渡るおっさん。
農作業をする人、線路脇で石を積む人、道路の草を刈る人たちも、全て手作業。
なんとなくイメージで、休む間もなくマジメに働くのかと思っていたが、
時間の流れは想像以上にゆるやかだ。

そして、頭で荷物を運ぶ女の人・・・。
発展途上国でしかお目にかかれない風景が、そこには広がる。
いくら背伸びをしようとも、さすがに隠しきれるものではない。
堂々としてりゃ気にも留めないのだが、隠そうとするからよけい観察してしまう。
この国はおじさんのエロ心理をよく理解している。

一般人、特に労働者を写真に収めるのはあちらとしてはNGらしいが、
風景を撮るフリをしながら、何食わぬ顔で人間にピントを合わせる。
こんな小さいカメラが10倍もズームできるとは、奴らも思わないのだろう。
もしくは見て見ぬフリなのか、意外にも注意されることなく撮影は続く。

  

さて、妙香山といっても目的地は山そのものではなく、そこの「国際親善展覧館」なる施設。
なんでも各国要人が金親子に贈った品を収蔵・展示したスポットだそうだが、
なぜこんな山奥にそれを作るのか、まずその時点でアホがバレる。

 

建物は例によってムダにデカく、大袈裟な扉は素手で触ってはダメ。

 

大理石の床を傷めないよう靴にカバーを履かされ、カメラも没収。
「重要な歴史的遺産ですからね」
とガイドは自慢げだが、その過剰な厳重さに反比例して、展示品は意外とショボい。

アラファト、プーチン、ミッテラン・・・
確かに歴史上の人物と言っても差し支えない方々から色んなモノが贈られているのだが、
銀の器やらナニやら、冷静に見れば現行モノのちょっとした高級品。

時々日本人からの贈りものがあったりすると微妙にテンションは上がるが、
埼玉県知事からツボとか、山形県から将棋のコマとか、
歴史的な価値まであるかどうかは、やたら怪しいグッズが大半を占めている。

感覚的には有名人のサインを集めて見せびらかしてるようなものだろう。
近所のおっさんがイチローのバットでも落札したら感心もするが、
同じレベルのことを国家のトップがやっちゃって、しかも得意満面なのだ。
逆にかわいそうとさえ思えてくる。

ただ、そんな田舎のお土産の山に混じって、
アンゴラの使用済み機関銃が飾られていたり、
ベトナムからは撃墜した米軍機の破片が贈られていたりと、
時折マニアもうなる逸品が現れるので、なかなか興味深い。

そんなのと同格として並べられたら、伝統工芸の匠たちもたまらんだろう。
文句をタレながらも結構楽しんでいるわしは、すでに北の術中に嵌りつつあるのだった。



四番目 : vs中学生


午後は北朝鮮名物、「学校見学」である。

学校なんか訪れて喜ばれるのは、どっかの大統領夫人や中田ヒデくらいだろう。
なぜ一般の外国人にまで学校を見せたがるのかわからないが、
北のツアーには必ずと言っていいほど組み込まれる定番コースだ。

行き先は向こうが勝手に決めていて、
わしは「6月9日中学」という、日本の中高一貫校みたいなところへ連れて行かれた。

校舎や校庭のたたずまいは驚くほど日本のそれと似ていて、意外にも立派。
「北の学校なんて、足に鉄球をつけられて、ミスったらムチでお仕置きされるんだろう」
とか思っていたが、生徒も日本の中高生とあまり違いはない。
明日は合唱コンクールがあるらしく、一生懸命練習するクラスもあれば、
さっさと切り上げてサッカーをやってる奴らもいる。

特に演じているような気持ち悪い印象はなく、ウソのように普通だ。
校舎裏でタバコ吸ってる奴らまでいる。ここまで演技だとは、とても考えられない。

  

校舎内にも戦時中みたいなポスターが掲示してあるのは面白かったが、
他は拍子抜けするくらい普通。懲罰房ぐらいあると思ったのに。
安心したような残念なような気分で外に出ると、続いて講堂に案内される。

扉を開けた瞬間、遠巻きに乾いた拍手が沸き起こる。
ステージ上で、制服やチマチョゴリを着た生徒たちがお出迎えだ。
絶対に笑っていないことがわかるつくり笑顔で機械的に手を叩く彼女らは、
将来の美女軍団候補は間違いないような、キレイな顔立ちの精鋭ばかりだ。

ここでは女子中高生らと交流が図れるのだろうか?
おじさんがワクワクしていると、挨拶の一つもなく、いきなり合唱が始まった。
我々外国人ゲストを歓迎すべく、出し物を見せてくれるという。



普通だったらほほえましいイベント。
子供のやることだし、温かい目で見届けてやろうと思う所だ。

だが、美少女たちの声量はハンパなくデカくて、やたら通る。
目線、首の角度、表情・・・総合的な仕草も含め、部活のレベルを超えている。
こいつら、プロだ。
ちっともかわいくなどない。

「マンセー マンセー キムジョンイル マンセー ♪ 」
 (万歳  万歳   金正日     万歳  )
・・・歌詞も外国人のわしでさえハッキリと聞き取れてしまったが、
かわいくねえええええええ!!
わしらを歓迎しとるんちゃうやろっ!!

  

子供のお遊戯を見ているようなほっこりした感覚はカケラも湧かず、
能面みたいに張り付いた笑顔で、彼女らは歌い、踊る。
歌も楽器も、口パクじゃねえかと思うほど不気味に上手い。
感心するというより、疑念がわく。

あいつら本当にここの生徒なのかも疑わしいし、そもそもアレ子供なのか?
いろんな憶測が交錯して、出し物に全く集中できない。
残念な気持ちは、やがて大好物を目の前にした犬の気持ちに変わった。
世界中探しても、こんなのを観光させる国は北朝鮮だけだ。


演技が一通り終わると、美少女軍団はぞろぞろとステージを降りてくる。
なんだかよくわからないうちに、手を引かれ、輪になって踊らされ、記念撮影をして終了。
そして、またも顔面を固着させたまま手を振られ、見送られる。その目は一切笑っていない。
こんなのはきっと毎日のことだから、感情などわかないのかもしれない。



彼女たちを
「かわいそう」 
と思う人もいるだろう。国の犠牲者だと。
やりたくもないのにやらされて、北はなんてヒドイ所だと、怒りに燃える人もいるだろう。

だが、「かわいそう」 と決め付けていいものか?

歌や踊りを披露しているときの彼女らは、確かに機械的ではあったが、
何か国の圧力で強制的やらされているとか、そういう感じは全くしなかった。
むしろこのメンバーに選ばれたことを、最高の名誉と信じ込んで、
一生懸命やっているように見えた。

日本にも有名中学に合格しようと必死な小学生がいる。
ハタ目には気持ち悪いが本人はマジ。
それが自分の幸せと信じているだけなのだ。同じようなものだろう。

本人が喜んでいるなら 「かわいそう」 では決してないし、
これを 「洗脳」 と呼ぶのならその通り、しかも大成功だと言える。

幸せの基準は人それぞれだ。
自分と違うからってブッ殺したり、目をそむけたりしちゃあいかん。
北朝鮮にとっては 「国の教育の素晴らしさをアピールしたかった」 だけだろうが、
意図とは全く別に、わしは大切な何かを思い出させてもらった気がする。



ただ、「アリラン祭」 同様、この驚異的な信仰心と潜在能力が、
国家の発展に全く生かされていないところが、ある意味スゴイ。

出会った大人にはみんな訊いてみたのだが、
外国人と接触を許されたエリート共にも、歌や踊りができる人間は、1人も居なかったのだ。



ではあの美少女たちは、将来何になるというのだろう。

その美貌と才能がすべて将軍様に捧げられるのだろうか、と考えると、
「やっぱりちょっとかわいそうかな」 と思えるのだった・・・。



五番目 : vs万景台生家


万景台(マンギョンデ)と呼ばれる丘に、金日成主席の生家がある。
見晴らしのよいそこは古くから墓地として利用されてきたようで、金一族はその墓守の家系。
日成少年はその貧しい家に生まれ、革命を志して14歳で家を出た。
というのが北朝鮮側の用意したシナリオだ。

そういえば町ではやたら「2012年」 と書かれた看板を目にするのだが、
2012年は金日成主席の生誕100周年だそうだ。
もちろん記念式典を盛大にかますみたいだが、・・・ってことは、生まれたのは1912年である。

 

この家、そのころのモノにしては新しすぎる気がするが・・・
貧しい墓守の一軒家にしては、ちょっとデカ過ぎるのも気になるな。

早速ガマン汁のように湧き出した疑問を楽しんでいると、
どこからともなくチマチョゴリ姿のおばちゃんが現れ、歴史の講釈を始めてくれる。
いつもは朝鮮語の解説をガイドが通訳する、というカタチをとるが、このおばちゃんは日本語。
それだけ重要な場所と考えられているのだろう。
ガイドの2人よりもよっぽどわかりやすい日本語で、
捏造された歴史を、血管をヒクつかせながら熱っぽく語ってくれる。

その語り口調が昨夜見た朝鮮中央テレビの抑揚にそっくりなので、
おかしいのを堪えながら、とりあえず真剣な表情をつくって説明を聞く。

 

「偉大なる金日成主席は、日本の植民地支配から祖国を解放するため、
14歳の若さで革命軍に加わる決意をしました。
上の写真は主席のお父さんとお母さんです。」

うーむ・・・。

くどいようだが1912年当時は、日本でいうと明治が大正に変わった頃だ。
そんな時代に、「貧しい墓守」が写真なんか残すだろうか?
真ん中のポートレートはまだわかるが、作業中の写真は絶対ないだろ。

そして下の段については
「不屈の革命精神で日本軍を撤退させた主席は・・・故郷に凱旋しました。」
(↑ イヤ、日本が勝手にアメリカに負けたんだが・・・)

「しかし、主席は誰にも知らせることなく突然帰ってきたので、
お母さんは驚きのあまり履物も履かずに麦畑へ走り出て、
大粒の涙を流しながら息子を抱きしめたのです。それがその時の写真です。」

・・・

・・・

誰にも知らせてないのに、誰が写真とったんじゃっ!!

よく考えなくても1秒でおかしいと思える話を、延々力強く語り続けるオバハン。
彼女もまた、心からこのヨタ話を信じている。そうでなければ、ここまで熱くはなれない。
人間が本気の時に出す「念」が出ている。まるで見てきたかのような信じ方だ。

ちなみに日本の文献によれば金日成の家族は1920年ごろ満州に移住している。
そもそも戦後にこの家で再会というのも、ありえない話なのだ。
下調べを済ませてから見にいくとキリがない程ツッコミが入れ放題なのだが、
そんな予備知識などなくても、ネタはあちこちに転がっている。

  

例えば、
写真の傍らにはご両親が当時お使いになったキセルや農具などが展示されているが、
どれもピッカピカ。
完全な屋外なのに雨風で汚れた形跡もなく、
100年もの時を経た道具とは、到底思えない輝き方だ。

おそらく北には独自の保存技術があって、
ここら一帯は時の流れを遅くするガスか何かで充満しているのだろう。
家の真新しさといい、そうでもなければ説明できないことだらけだ。


極めつけは貧しい時分に購入したという、歪んだツボ。
お金がなくてコレしか買えなかったと言うが・・・

 

・・・いくらなんでもやりすぎよ。
失敗作だから安かったなんて理屈が、通ると思ったのだろうか?
小学生が作っても、ここまでグニャングニャンにはならない。売ってねえよこんなの。
あまりの前衛的なフォルムに、クラクラして景色の方が歪んで見える。

「貧しい頃の気持ちを忘れないために、普通のツボと並べてとっておいたそうです」
と、何でそんなのが残ってるの?という疑問には一応答えが用意してあるみたいだが、
みんなが思うのはそこじゃないよ。多分。
やはりこのツボも、1世紀を超えた逸品とは思えない、異様なテカり方をしている。


端々で感動を誘おうという意図は痛いほど伝わるのだが、
向こうが本気になればなるほどワキ腹がムズムズして、全く逆の結果になる。
タネがバレバレの、下手くそな手品でも見ているような気分だ。
捏造するにしてもツメが甘い。北朝鮮はそんなのばっかだ。


見学に訪れた人々は、感涙にむせびながらここを後にするのだろう。
疑うことを知らない、なんというピュアな人たちだ。

この生家は、やはり国民にとっては聖地だそうだ。
4月15日の主席のお誕生日には毎年7万人の参拝者が列を成すそうだが、
この日この時間は、そこにわし以外の姿は見られなかった・・・。



六番目 : vs軍事境界線


開城(ケソン)という町に泊まり、韓国との軍事境界線を見学に行った。

軽く「見学」とか言ってしまったが、名前の通りここは「国境」ではない。
パスポート出してヒョイっと越えられるような、そんな生易しいモノとは違う。
いわば敵対勢力同士がにらみ合う、見えないが決して超えられない一線だ。

そんな緊張した場所に観光客を入れていいのか? と思うが、
さすがは北朝鮮。そこが主力の観光地になっていて、むしろウェルカムなんだと。
普通の人々の暮らしは絶対見せないくせに、こういう場所は積極的にアピール。
見せていい部分が根本的に間違ってる。「けっこう仮面」みたいな国だ。

韓国側からも訪れることができるが、現在中止とのこと。
やはり、デリケートな場所には違いないのだろう。
事前にそれを聞いていたので、さぞかし緊張を強いられるものと覚悟を決める。
「笑ってはいけない北朝鮮24時」 だ。
「コミネ アウト〜」 となったら、ケツを叩かれるぐらいでは済まないだろう。

ところが、非武装中立地帯のゲートの前まで来ると拍子抜け。
軍人も作業中の労働者も、タバコを片手に、なんだか楽しげに談笑中だ。
我々外国人が到着してもその気配は止むことはない。
すぐ目の前に鉄条網とブ厚いコンクリのゲートが構えているのに、
とてもそうは思えない牧歌的な雰囲気だ。


他の観光地だと、到着するや否やチマチョゴリ姿の女性が現れるのだが、
さすがにここでは軍人が出てくる。
親切に地図で説明してくれた後、
いよいよ非武装中立地帯へのゲートをくぐる。

いったん車から降りて一列に並び、徒歩でゲート内へ。
そのあとすぐに、さっきまで乗っていた車に乗車。・・へ?
今の行動に何の意味があるか全くわからんが、そういう決まりになっているらしい。

再び乗車するのは、軍事境界線までは、まだ2キロもあるからだ。

非武装中立地帯は軍事境界線を挟んで半径2キロの円のようになっていて、
北朝鮮側はゲートの外と同じく、水田として利用されている。
中には農民の住む集落もあるそうだ。我々の車も、一本道で何台も牛車を追い越していく。

  

「このエリアをこうして平和的に利用しているのは北朝鮮側だけで、
韓国側には見張り小屋ばかり建っている。」 と軍人は言う。

この中まで田んぼにしなきゃならんほど、食い物に困っていたともとれる発言だ。

こんなところでも対外的な好感度アップを図るのは立派だが、
韓国側から行った経験者によれば、実は向こうにも水田があるらしい。
またすぐバレるウソこいて・・・。。

この国の工業はお粗末なモノだが、
自慢話や美談の生産力だけは、世界でもトップクラスだ。


 

いきなりだが、我々は 「朝鮮半島には2つの国がある」 と学校で習う。
しかし、朝鮮民族にとってその認識は、ちょっと違う。

北の人間には、
「わが祖国朝鮮の南半分を、アメリカ帝国主義が占領統治している!! けしからん!!」
というのが常識であるし、

同じように韓国側も、
「半島北部をアホの共産主義勢力が勝手に占領しているが、あそこはわが国ニダ」
と思っている。

南北どちらにとっても、朝鮮半島は一つの国であり、民族は一つだ。
全国地図は必ず朝鮮半島全体が載っているし、
サッカーでどっかの国に勝てば、自分の国の事みたいに大喜びする。
鉄条網の向こうの支配者が憎いのであって、国民まで敵だとは思っていない。

日本に置き換えて言うのは難しいが、感覚的には米軍基地みたいなもんか。
俺の国で悪さばっかしやがって米兵ファック!! とか思う人は居ても、
基地内で働く日本人も死ねとは思わない。(中には居るかもしれないが・・・)
それに近い感覚で、お互いを見ているということだろう。


それゆえ朝鮮戦争の捉え方も日本の教科書とは違っていて、
北の敵はあくまで 「アメリカと国連軍」であり、南の敵は 「ソ連(のちに中国も)」である。
それぞれが
「あっちを支配しているクソ共を追い出して、朝鮮民族を解放するニダ」
と、熱き心に燃えて戦ったというのが、アチラの人の感覚なのだ。




さて、軍事境界線の前に、北朝鮮領内、「停戦談判会議場」 に立ち寄る。

「この停戦談判会議場は、1953年、
朝鮮民族がアメリカに勝利した事を記念して建てられたものです。
偉大な金日成主席の指導で、朝鮮人民軍がわずか5日で完成させました。」

・・・待て。

今なんつった?

「アメリカは停戦の調印式は簡易テントか何かで行えばよい、と申し出ました。
それは敗北した羞恥心を隠すための行為です。
偉大な金日成主席は、大事な調印式にそれではイカンと、
この停戦談判会議場を建設することを指示なさったのです。
突然の命令だったので建設は間に合わないと言われていましたが、
朝鮮人民軍兵士の不屈の闘志と英雄的気概により、
予定より早い5日という奇跡的なスピードで、建設は終わったのです。」

んーと・・・、
言いたいことは山ほどあるが、キミ、
「勝利」 と言ったかね?

一点の曇りもない表情でサラッとおっしゃるので、危うく聞き逃すところだった。
何と北的には、朝鮮戦争は 「勝った」 ことになっているのだ。

そういえば平壌にも「戦勝記念館」 とかいう博物館があって、
撃墜した米軍機なんかが展示してあると聞いた。
もう1度言うが、北朝鮮は、朝鮮戦争に 「勝った」 と思っている。
いや、勝ったのだ。勝ったんだよ。


それを聞いて、一気に納得した。
非武装中立地帯周辺があんなにヌルい空気だったのも、北が「勝利した」からなんだ。
勝ったのなら、デリケートな地域も堂々と公開できる。
むしろ自慢のタネとばかりに、無理矢理にでも見せたがるだろう。

町なかでは「軍人や軍関係の施設は絶対撮影するな」 とうるさく言われたのに、
ここでは撮り放題。質問し放題。
調印書にサインした時の机とイスが並んでいるのだが、そこに座る事さえ許されている。



続いて軍事境界線の見られる共同警備区域でも、
ここは本当に北朝鮮か?と思える程やりたい放題。
やはりイスに座ることはOK、というかむしろ強制的に座らされるし、
歴史の資料集で見た、あの38度線を表すマイクにも、触っちゃって構わないのだ。



マイクのコードをグニャっとやって、北朝鮮の領土を若干広げてあげるかわいいユーモアも、
全くとがめる様子もなく、記念撮影にまで応じてくれる。
普段一切の自由を与えてくれない国が、この中だけは奇妙なほどフリーダムだ。


韓国側から来た場合、そのような暴挙は決して許されない。
机もイスもおさわり厳禁、ましてマイクなどもってのほかだ。汁が出ちゃう。

それどころか、韓国側ツアーはカメラ以外は持ち込み禁止、写真撮影は規制アリ、
ジーンズやピースサインは北朝鮮の兵士を刺激するからNG (なんじゃそれ?) など
注意事項がやたらうるさい上に、
「危険地域につき何かあっても文句は言いません」 という書類にサインまでさせられるという。
参加者の国籍によっては審査に数ヶ月かかったり、観光自体が許可されない場合すらある。
(当の韓国人は、基本的には参加不可らしい)

いま韓国側からのツアーが中止なのも、
金剛山という別の国境ツアーでおきた問題が原因だという。
ここは国境地帯、本来そのぐらい緊張して当然の、不安定な危険地域なのだ。
それが、勝利の余韻だけでこの無礼講ぶり・・・。




勝ったのなら、なんで未だに半島が分断されているのか不思議で仕方ないのだが、
ここでその質問をするのは不粋というものだろう。つうか訊いてもムダだ。
北朝鮮の学校では 「疑問を持つ」 ということを習わない。

今はただ、こんな貴重な場所を自慢げに見せてくれる、
朝鮮人民軍の英雄的寛大さに涙するのみである。



七番目 : vs高句麗古墳群


不屈の革命精神、英雄的偉業といった宣伝文句にもすっかり溶け込んできた滞在5日目。
ウソ・大袈裟・紛らわしいでJAROにたちまち撤去されそうな誇大広告が踊る北朝鮮で、
今日は初めて、マトモに価値があるらしい場所を見学する。

その名も「高句麗古墳群」。
国内で唯一ユネスコ世界遺産に認定された63基の古墳群は、
中国・吉林省の古墳群と合わせて、「まとめて1件」 の文化遺産として登録されている。

北の人間はこれを
「わが国には63個の世界遺産があるニダ」 と鼻高々。
そこは大人な気持ちで聞き流して、
そのうち3基が固まってある「江西三墓(コウサイサンボ)」 なる古墳に、
今回、特別な申請をして入らせてもらうことになった。



高句麗古墳群は4〜5世紀のものらしく、
「江西三墓」 は、内部に「四神(しじん)」 の壁画が描かれているのが特徴。
「四神」 とは青龍(せいりゅう)・白虎(びゃっこ)・朱雀(すざく)・玄武(げんぶ)のことで、
それぞれが天の方角 東・西・南・北を司る霊獣である。少年マンガではお馴染みだ。

日本にある、7〜8世紀の「高松塚古墳」「キトラ古墳」なんかと同様の特徴があるので、
関連性が研究されているらしい。
「保存のため近々見れなくなるかも」 と、お決まりの誘い文句がいやらしい穴場だ。


「特別な申請」 と書いたが、何のことはない。入場料を払えばいい。
だだ、その入場料が1基につき100ユーロという、ムチャクチャなボッタクリ方なのだ。
きっとそのせいだと思うが観光客もここには滅多に寄り付かないようで、
だから見学の際は、事前に申請が必要、ということになってくる。

旅行前にネットでいろんな人の北朝鮮旅行記を読んだが、
たしかに高句麗古墳について触れたものは見かけなかった。
もともとツアー料金がハンパなく高いのだ。
そのうえこんな値段を提示されたら、誰だって引く。

しかも、「1基」 100ユーロというのがミソで、江西三墓は大中小、3つの古墳がある。
幸いと言おうか 「小」 の古墳には壁画がないのでタダ(入れない)。
それでも 「大」 と 「中」 で 合計200ユーロは重い。

片方だけ見る、ということも考えたが、ここまで来てそれはチキンのやる事。
目の前で、「脱いだらスゴイかも」 という風俗嬢が手招きしているのだ。
選択肢は、一つしかない。


結局、足元を見られているのは承知で挿入。いや、潜入。
冷静になっちゃダメだ。 考えるな、感じろっ!!
この石造りの電話ボックスみたいな空間で、太古のロマンに酔うのだ。

壁画を保護するため湿度の管理には気を遣っているらしく、
石室までは何重にも扉が付いている。それを1コ1コ開け、奥へ。
入った後は扉を閉めないからあまり意味があるとは思えないが、さすがは世界遺産。
水滴がしたたり落ちる低い通路をくぐっていくと、
ガラスで囲まれた王の棺、石室に辿り着く。


係員が照明を入れる。
世界遺産に似つかわしくない、ごく簡素な裸電球だ。
オレンジ色の光が、結露したガラスの向こうでチラチラと炎のようにゆらめく。

この国の電力不足は本気で深刻なのだろう。
時々完全に消えて真っ暗闇になったリするが、そのいかにもたよりなげな薄暗い明滅が、
ローソクで洞窟を彷徨うような気分を呼び起こす。うーんロマンだ。


肝心の四神図の方は、ガラスを手で拭けばその向こうにクッキリと見える。
電球色のせいで本当の色合いはよくわからないが、
1500年も前のものにしては、驚くほど鮮明に残っている。

とくに 「大」 の古墳の方は天井の装飾も見事で、
死んだ王様が天国に行けるようにと、天女や乗り物の姿も描かれる。
壁の四隅の石は人為的にカーブさせた跡があり、技術の高さも伺える。

さすがは世界遺産、まともに感心するポイントがちゃんとある。
ザクとは違うのだよ。ザクとは。


学のない言い方をすれば、NS(なんかすげえ)。
残念なことに、この美しさが完全に理解できるほど芸術に明るいワケではないので、
ふと我に帰ると、さっきの値段のことを思い出してしまう。

これが200ユーロ、日本円にして 2万7000円(当時)だ。
ディズニーランド5回分の価値が、果たしてあるのか??
ホントにソープみたいな値段じゃないか。



せっかくだからモトは取ろうと、さりげなくカメラを構える。
っと・・・すかさず係員が制止する。 

「写真は別料金なんだ。」

・・・おいでなすった。


このことは事前に知ってはいたが、すっトボケて撮ろうとしたら、やはり言われた。
この旅行を手配してくれた日本の旅行会社によれば、写真1枚50ユーロ。
正面からブツかるには、あまりに可愛気のない価格設定だ。

マイケル・ジャクソンとのツーショット写真が確か40万円だったそうだから、
それに比べれば屁みたいなものだが、キングオブポップと大昔の落書き、
どちらにしても金額ほどの価値は、少なくともわしには見えない。

じゃあ仕方ねえズラとカメラをしまおうとすると、
「本当は1枚10ユーロなのだが・・・」
とおっさん。

ん? 10ユーロ? 情報を遥かに下回る値段。
その話だけでも手を打っちゃいそうになるが、「なのだが・・・」 のあとが気になる。

しまいかけたカメラをまたズリ出して、
「なのだが・・・?」
と訊き返す。

おっさんは恋人同士にしか許されないほどの距離に顔を近づけ、
「ワタシに3000円くれたら撮り放題でいいニダよ。」
と、小声で持ちかけてきた。

思いもかけない劇的なプライスダウンッ!!

「・・・安いじゃないですか。」
おもむろに3枚取り出して、係員のポッケにネジ込む。
ストリップ小屋のポラロイドみたいな値段だが、予備知識のせいで安く感じる。
日本の旅行社もグルで3連コンボしているのだとすれば、なかなか緻密な心理トリックだ。



北朝鮮は規律でガチガチに固まった国、というイメージがあった。
こういうワイロとかは、北では通用しないのだろう、と思っていた。
彼らがクソ真面目ということではなくて、お互いに密告されるのを恐れているのだ。
実際、以前はツアーのガイドもチップさえ受け取らなかったそうだ。
国の方針も、少しずつ変貌しつつあるのだろうか?


意外といえば意外な返答に、この国に対する印象が、また変わった。

入国以来、どこか孤独感を感じていた。
行動中は常に人が張りついているのに、彼らとの間には壁があった。
基本、取り繕って良い所ばかり見せようとするので、
質問してもマニュアルどおりの回答ばかり。
何度話しかけても同じ事しか言わない、ドラクエの町の人と喋っているようだった。

しかし、「ワイロくれ」は、人間のストレートな欲求。ナマの本音だ。
このおっさんがチラリとのぞかせた人間臭さによって、
一瞬だがこの国の素顔のようなものに触れられた気がする。

写真を許可されたことなんかより、それが嬉しい。
もちろん、親の仇みたいにシャッターは切りまくったが。






たった2つ穴グラにもぐりこんで、正味わずか1時間。
出費合計はジャスト3万円に達したが、もう惜しいとは思わなかった。

北朝鮮に来て、初めて現地人と「交流」できた満足感。これぞプライスレス。


外に出ると、空は今にも泣き出しそうな曇天だ。
だがそれとは逆に、わしの心は実に晴れ晴れと透き通っていく。



明日はついに帰国の日だ。(無事に)帰ったら何しようか・・・
真っ先に思い浮かんだのは、もちろんディズニーランドだったのは言うまでもない。


八番目 : vs伝説の英雄


曇っていた。
ここ2日は小雨もパラつく程、見渡す限りの曇り空だった。
幸いにしてその間の見所は、沙里院(サリウォン)、九月山、西海閘門(サイカイコウモン)など、
どちらかというと2軍に当たる観光地。
もしくは、さっき見た高句麗古墳群のような「屋内」だ。

さして見学に影響はないが、途中のせっかくのイナカ道も、ドス灰色に染められて雰囲気が暗い。
どうせだったら晴れて欲しいと、ずっと思っていた。

明日の朝、9時の飛行機で帰るから、実質今日が最後の日だ。
ラスト1泊はやはり首都・平壌。
目を上げるとそっちの方角も切れ目の一切ない、灰色の絨毯のような雲が広がる。

わしは高句麗古墳で手に入れたばかりの感動を傍らにのけて、祈っていた。
完全試合まで、あとワンストライク。
9割方は満足なのだ。気持ちはまさに、「あと1つ」 が欲しい。


わしは 「晴れている」 というだけでビール2本分くらいはテンションが上がる、単純な人間だ。
この時期、9月の北朝鮮も、雨は少ないはずだった。
だが、砂漠や南米のいわゆる乾期と違って、絶対に雨が降らないという保証はないのだ。
それは仕方がないとわかっているのだが、
「何もわしが居るときに曇らんでも」 と、えらく傲慢なことを考えてしまう。

繰り返すが、わしは晴れているだけで、何もかもが3割増しで輝いて見える人間だ。
青空の下ならウンコを投げつけられても、そいつを許せる自信がある。

滞在のラストを飾るこのピョンヤンの最後の空が晴れるか否かは、
自分が満足できるか否かだ。
この国のトータルの印象を決定づけるくらい、重要なポイントなのだ。



そんな漢(おとこ)の想いが天を貫いたか、
あんなにあった雲が全部どっかへ吹き流され、一面の大快晴になった。

どんな魔法を使ったのか、昼飯を食ってるわずか1時間で、世界は変わったのだ。

これはきっと、北の最新技術がもたらしたものだろう。
あるいは将軍様の神通力で、雨雲を吹き飛ばしてくださったに違いない。


最終日のピョンヤン市内観光は消化試合みたいな雰囲気があったが、
晴れている、というか曇りが晴れになったことが嬉しくて、何もかもが美しい。
晴天に全く関係ない地下鉄体験乗車でも、見るだけの凱旋門でも、
わしのテンションは上がったきり戻ってくることはなかった。


最後のシメとばかりに主体(チュチェ)思想塔に再び上る。
2日前、曇り空の中で眺めた同じ景色。
いままで訪れた場所のほとんどが一望できる。
モノクロに近かった記憶の中の町並みが、濃厚な青と緑でリセットされていく。



360度のパノラマを俯瞰して、わしの中の北朝鮮は、クライマックスを迎えた。
テンションが100上がった。スーパーハイテンションだ。

もうピョンヤンに、北朝鮮に思い残すことは、一切、1mol もなくなった。
なんなら今すぐ家にワープさせてくれても構わない。
そう言い切れるくらい、余すところなく満喫した手ごたえがあった。


射精する直前のような表情をキープしたまま、塔を下りる。
せっかくだからとお土産屋に案内される。旅行者の最後のミッションだ。

北朝鮮は知る人ぞ知る切手王国で、専門のショップ兼ミュージアムがある。
切手なんかに興味はまるでないが、
ちょうど泊まっていたホテルのすぐ隣にあるので、帰りついでに立ち寄る。
なかなか立派な店構えだ。


数ある切手の中には日本人をモチーフにしたものもあり、
「小泉純一郎VS金正日会談」 の切手や、
ボクシング元世界チャンプ・徳山昌守の切手などが、展示・販売されている。
どれも必ず北が絡んでいるが、それはそうだろう。

中でもわしの目を引いたのは 「力道山 & アントニオ猪木」 のコラボ切手。



若い人は知らないかもしれんが、
昭和のヒーロー力道山は、実は在日朝鮮人であり、アントニオ猪木の師匠。
その縁で猪木も94年、北朝鮮でプロレスの興行を開いたことがあるのだ。
二人は北朝鮮でもヒーロー扱いらしい。

売り場の若いネエちゃんはよく知らないみたいなので、
ガイドを通じて猪木の英雄ぶりを力説する。
ついでに店内で 「イノキ・ボンバイエ」 を熱唱。 引かれているのもお構いなしだ。


お土産も買って、ホテルに戻る。
これでホントにおしまい。あとは夕食を待つだけだ。

最後の晩餐は専門店でアヒルの焼肉を食べに行くというので、
出発までそのままロビーで時間をつぶす。
日も傾きかけて午後6時頃。
通りには下校する子供たち、普通にその辺を歩く軍人、女の人、いろいろ見える。
夕方に人出が増えてくるのは、どこの国も一緒みたいだ。

ホテルのロビーも、にわかに外国人で騒がしくなる。
見れば入り口の回転ドアが、さっきからまわりっぱなしだ。
たった今、飛行機が着いたばかりのだろう。
そういえばわしが着いたのも、こんな時間だった。

「日本人はいるかな?」

なんとはなしに、人の群れを覗き込む。
女の人がいる。東洋人だが、化粧の仕方が中国や朝鮮ではない。

スーツ姿だから観光客ではなさそうだ。でも日本人か・・・も・・・

!!


背後の一団に目を移したとき、不意をついて

ドン!!

と、鈍い音がした。
それが自分の心臓の音だと気づくのに、数秒を要した。

滞在中、何度も自分の目や耳を疑ってきたが、これは一番ヤバイ。

うおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおい!!

ほっほっ、本物の・・・






























A・INOKI !!!


よく見たらさっきの女性はその仲間で、
若手レスラーとおぼしき付き人が2人、後ろからやたらデカい荷物を運んでいる。
よく似た人・・・だよな。と落ち着こうとしても、
肩からは赤いマフラー?ストールっていうの?アレをたらしている。
あの格好で飛行機に乗ってきたのだ。ニセモノがそこまでするワケがない。


さっきまで切手で盛り上がっていたカリスマ、まさかのご本人登場だ。
ガイドはその有難味がまったくピンと来ないみたいだったが、
「お前、わしがあの人に会うっちうのは、君らが金正日総書記に会うようなものぞ!!」
と、半狂乱で説明する。


運のいいことに、猪木の一団はわしらの背後を通って、エレベーターに乗ろうとした。

こんなチャンスを逃す手はないッ!!
小学校1年生みたいにシャキッと直立し、
「こんにちは!!」 と元気に挨拶をかます。

猪木もこんなところで日本人に会うとは思いもしなかったのだろう。
ちょっと面食らったように
「日本人ですか?」
と返してきた。

猪木に質問されちまったよ。オイ。ぬほほ。
「はい。」
「今日はどうして・・・?」
また質問だ。この 「どうして?」は、国が国だけに奥が深い。

旅行です、とだけ答えたら、 そんな奴いるんだ、といった反応だった。
それ以上話は広がるはずもないが、ともかくあのアントニオ猪木と会話が成立したのである。

有名人というよりは、歴史上の人物と会話をしたような・・・
失礼ながら死んでしまった人と話ができたような、どこか神聖な気持ちになった。


英雄を目の前に、上がりきったはずのテンションが、更に2段階くらい上がる。
天津飯といい勝負ぐらいだったのが、今ならフリーザをも1パツだ。
限界を超えるとは、こういうこと。


イナヅマのように素早く正面に回り込んで、握手を求める。写真もゼヒ。
直面すると改めてわかるが、伝説の兵(つわもの)の体躯は、まるで岩の塊のようだ。


遠巻きに見たときから、たしかにあのアゴは異彩を放っていた。だが、それとは別に、
猪木本体がまとう空気、放つエネルギーが、また格別の華々しさを誇っている。

絶対に気のせいだが 「オーラ」 と呼ばれるものが、ぼんやり光っているように見えるのだ。
ああいう人たちをなぜスターと呼ぶのか、その理由が理解できたとさえ思った。
これほど濃厚な存在感は、ブルネイの王様と握手した時以来だ。



その日の翌日・9月9日は北朝鮮の共和国創建記念日。
あとでわかったことだが、猪木氏は式典に参加するため呼ばれたのだという。
いわば国賓だ。さすが切手になるような人物は違う。


興奮のうちに、多忙な戦士は歩み去った。
体の芯が鉄の棒のように固まり、熱く燃えるのを感じる。

「心がない」 と評される自分が、こんなにも昂ることができるのを知った。
限界のさらに先の扉を開いてくれた彼は、まさに神と呼ぶに相応しい漢(おとこ)だった。



九番目 : vs魔物


6日間の全ての思い出の頂点に君臨するのが猪木、というのが謎だが、
全体を通しても満足の一言だった、北朝鮮遠征。

さて、満足したところで突如頭をもたげてくるのは、
今まで必死に眠らせてきた、疑念疑惑という名の蛇である。

「このまま無事に帰れるのだろうか?」

最後にして最大の課題が心臓に染み出し、ドス黒い液体のようにからみつく。

「空港に行くとか言って、山奥の収容所に着くのでは?」
「両脇に人が乗ってきて、シャブでも注射されるんじゃないか?」

・・・この数日で何度か脳裏をかすめては押し殺してきた想像力という魔物が、
にわかに腹の中で暴れだす。


思えば疑わしいことばかりだった。

ホテルの廊下とか部屋とか、やたら鏡張りのところが多かった。
ガイドはなぜかわしの干支まで調べていた。
ホテルをこっそり抜け出したときも、戻ったらきっちり待ち構えていた。
一体、何のために!!?


予想に反して、車はどうやら空港のようなところに着いたようだ。
だがまだ油断はできない。

車を降りるまでは・・・
・・・降りれた。

荷物を受け取るまでは・・・ 
・・・渡された。

荷台のハッチを閉め、ガイドが急に真顔で振り返る。
・・・とうとう来たか。
背筋に猛烈な寒気を感じ、身構える。

「残念です。」

銃口を向けるような視線!!
右手を伸ばして、わしの手を・・・ってアレ? 握手?
ああ、普通に 「帰ってしまって残念です」 か。そういうこと?


尋常でないビビリ方とは反比例して、気持ち悪いくらいあっさり出国手続きは完了した。
むしろサッサと追い出したいくらいの勢いで、急いで飛行機に詰め込まれる。

・・・おかしい。
これで終わるはずがないじゃないか。

この飛行機こそが収容所行きなのか? あいつの持ってるのは爆弾・・・に見える。
もはや言いがかりでしかない疑惑をキャビンアテンダントにまで向け、力の限り疑う。
心がどんどん病んでくる。

何事もなく乗り継ぎの北京に着いた後も、
「いやいや中国こそが活動の本拠地じゃ。そうはさせんぞ。」
とチラチラ振り返る。

成田空港に着いてもなお、
「ヤツがスパイか? いや、あいつかもしれないッ!!」
・・・精神の休まるヒマがない。



結局完全なひとり相撲なのだが、
訪朝以来、「誰かが見ているかも」 と妄想するのが、以前に比べてすごくカンタンになった。
油断すると、靴下の中を虫にさされたような異物感が、いつでも湧き出してくる。


この心に残った黒いシミは、将軍様のお土産。
ご自慢の体制に好き放題ツッコミを入れ続けた、
罪深い漢(おとこ)に対する最後の罰ゲームだ。

北朝鮮と関わった者は、一生この見えない敵と戦い続ける宿命なのだろう。
わしは今日も、誰かに見られている気がして後ろを振り返っている。


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